陽キャのお通りだ

留年の理由なんてしてから考えろ

労働と呼んでいいものか

小学生の頃、文集に将来サラリーマンになりたいと書いた。

サッカー選手になりたいと書いた奴らは全員グレたので正解を選んだのかもしれない。

 

 

本気でサラリーマンになろうと思っていたのでもなければ、大きすぎる本当の夢を書くのが恥ずかしくて照れて隠したのでもない。もちろんボケたわけでもない。将来の夢が本当に思いつかなかったのだ

 

当時サッカーと水泳をやっていたので、水泳でプロになりたいとかオリンピックに行きたいとか適当に大きな夢を書いても良かったのだけど、水泳でもサッカーでもプロになろうなんて全く考えたことがなくてどうせなるんだろうと思ったサラリーマンと書いた。

 

 

子供の頃親に将来何になりたいかを聞かれたときのことを覚えている。

「大工さんになっておうちを建ててあげたい」

と答え、両親と祖父母は喜んだ。当然嘘である

 

子供の頃から会話をすぐ終わらせるために無難な回答をしてきたので、消防士が学校に来て何かの体験をさせてくれた時は感想を書く紙に消防士になりたいと書いたし、通っていた塾の塾長に将来の夢を聞かれたときはいい大学に行きたいと言った。

全て嘘である

 

その場しのぎの対応で取り合えずこの場を凌げさえすればあとはどうでもいいのだ、という人間性は今も変わっておらず、親に大学の単位のことを聞かれたときも「バッチリだ」と。当然嘘だった。

 

 

自分が成長して働く日が来るとは思っていなかったのだ。

おばあちゃんには若い時があって自分と同じように小学校に行っていたことや、自分がいつか中学生や高校生になることが頭ではわかっていたけれど感覚的に腑に落ちなかったからだろう

 

 親父にも子供の頃があっておじいちゃんに育てられていたという事実がよくわからなかった。あの優しいおじいちゃんが俺の親父を厳しく育てていたらしいのだ。

そしてその親父の精子は着床し、育ち、留年した。

 

 

 

 

数年前の今頃、そんなことを考えながら僕はイヤホンをして小学生の素振りをボーっと見ていた。

 

 

当時すでに大学生だった僕は、バッティングセンターでアルバイトをしていたのだけれど、客は基本的にあまりこないので宙を見ているだけで給料が発生した。

家からは遠かったのだが定期券内であったし、あまりの楽さに他のバイトができる気がしなかった。

やることがなさすぎてイヤホンをして音楽を聴いていても一切の支障が無かった。

 

 

 

 

それでもバッティングセンターということだけあって土日の朝と金曜、土曜の夜は結構客が来る

 

そのバッティングセンターは終わっている地域にあったので、夜の客層はすこぶる悪かった。

イカつい外国人、自分のことをウチというタイプの女、ピンサロに行こうという提案しかしない奴、UFOキャッチャーに異常に執着する奴しかいなかった。おいテメーどこ中だコラ

 

しかし、そんな客と自分で構成された夜のバッティングセンターが僕は意外と好きだったのだ

(全員酔っていてタバコも吸うのでその点では死んでくれと思っていた)ので、結構な頻度でシフトに入り色々なことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

僕は6年生のときに中学受験のために塾に通っていたのだけれど、そこには太っているにしては性格が良く、賢い塾長がいた。

 

僕らの中学受験コースには力を入れているということでバイトの大学生などではなく塾長自ら社会を教えてくれていた。社会を教えるというのは怖い意味ではない

  

僕が受かってみんなとは別の中学に行くことが決まって最後に塾に顔を出したとき、塾長は僕に握手をして

「君は賢いから分かっているだろうけど受験はゴールじゃない。誰でも入れる中学じゃないんだからそれを自覚してやるべきことをやりなさい、君の未来は明るいよ」

みたいなことを言われた。良いこと言うなと当時12歳のひねくれたガキは、こうして今でも覚えているほど感動したのだ

 

 

 

 

そんな塾長がこんな僕をみたら何と言うんだろう。

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「PAPER」のスペルが間違っていても誰も気がつかない職場で働いているぞ、と塾長に伝えたらどんな顔をするだろう

 

万が一ペペローションを捨てる場所だったら俺が悪いなとおもって中を確認したら当然のように缶が捨てられていた。カスしかいねーわ

 

 

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 この胡椒という検索結果をみてしばらく一人でニタニタ笑い、小学生のバッティングを見ていたら、気づけば自分が小学生のころに通っていた塾のことを思い出していた。

 

 

 

自分が小6の頃この時間は塾だったな、と。

胡椒の話もしてくれたな、と。

 

 

 

塾長の授業はほとんどが雑談のように聞こえたが、僕らが自然に興味を持つように工夫して色々な話をしてくれた。

理科や算数の授業ではたくさん問題を解かされ、解けると応用の問題をさらに与えてくる。そんな中で塾長の社会は息抜きとして機能したし、気づくと前のめりになって聞いていた

社会というより教養の授業だったのかもしれない

 

中世のヨーロッパでは胡椒が貴重で、胡椒を求め男たちが海に出たことやコロンブスアメリカ大陸を死ぬまでインドだと勘違いしていたこととか。

今から思えば高校世界史で学ぶ常識的な内容だけれど、当時の僕らは塾長の話が小学校のつまらない授業の何倍も面白く、塾長はまるで東インド会社のように僕らの知らない情報や、知ること自体の面白さを提供してくれたのだ

 

 

 

 

知的好奇心を刺激され目を輝かせて授業を聞いていたあの男の子がまさか

 

小汚いバッティングセンターの片隅で、濁った目でゴミ箱を見て広大な海の歴史に思いを馳せているとは塾長は夢にも思っていないだろう

 

  

 

高校終わりのヤンキー3人が歌いながらUFOキャッチャーを物色して歌っているのが聞こえる。

 

 

ピカソより〜普通に〜巨乳がっ好っき〜」

 

 

全員そうだろ。ピカソも多分そうだわ

 

 

 

 

ヤンキーが歌う永野のネタのパクリBGM。

 

 

「おにーさん、ボール詰まっちゃった〜!直して〜」の声。

 

 

 

本当にこれは21世紀の労働なのだろうか

そもそもこれは労働と呼んでいいものだろうか。

 

 

 

 

 ポスターのセンスも終わっている。

HARROWS DARTS TECHNOLOGY とあるがこの女のどこにテクノロジーを感じればいいのだ

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ヤンキーくんはピカソとSEXY DARTS どっちが普通に好きなのだろう

 

こんなことを考えながら時間を潰して時給をもらう毎日を送っていた。

 

 

暇な時間がたくさんあると今まで考えもしなかったことを真剣に考えるようになる。

 

 

 

 

中学受験をしたこともあって地元の中学にはいったことがない。

だから生活の中でヤンキーと唯一話す機会がバイトだったのだけど、意外とそれが楽しくて、こっちの人生が、幸せなんじゃないかと。

 

 

あのバッティングセンターで僕が接客した客はみんな将来の夢をサッカー選手と迷いなく書ける人たちだろう。

 

結果的に描いたようにはなれなくてもその時に思いつく限りの最高を追いかけている人生がすごく幸せなんじゃないかと思うようになった

羨ましいとすら思った

ほんとはこういう生き方が理想なんじゃないか

 

 

 

中学の同級生でこんなことしているのは俺くらいだな、と毎回シフトのたびに思っていた。

 

でもそれでいいんじゃないかな、と思う

 

真面目な人たちとは全く反りが合わないけれどグレることもなかった僕は、自分にしかできない体験を積み重ねていくのが正しいのだ。

 

 

そんなことを気づかせてくれたヤンキーとバイト先との出会いが僕の人生には必要だったのかも知れない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっきのヤンキー灰皿に唾吐いてた

 

 

 

誰が掃除すると思ってんだカス

お前なんか羨ましくねーよ死ね地獄落ちろバカ

 

  

じゃーな

 

 

 

 

 

 

 

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