大塚は近くて遠い
街には徐々に思い出が蓄積されていき、長い時間をかけて、忘れられない特別な場所になっていくものだと思う
僕にとって思い出の道でも誰かにとってはどこにでもある道だし、逆もそう。
地元を離れて地方で一人暮らしをしているが、小学校の通学路や家から駅までの道などは詳細に思い出すことができる。
そんな街を久しぶりに歩くと色々と思うことがある
小学生の時に大きいと思っていた塀が低くなっているなんてよく聞く話だ
ここであいつと喧嘩したな、と思い出したり、何度も行った店が潰れていることを知ったり。
先輩がここで近くの女子高の子とSEXしたらしいとか盛り上がった場所も、友達のパズドラで強いモンスターを適当に合成してバチバチにキレられたガストも。
思い出は基本的にはこうして時間をかけて積み上げていくものだと思っているのだが、
1回しか行っていないのに今も思い出す街がある
夏、朝7時。
当時19歳の僕は知らないお兄さんの家でシャワーを浴びていた
都営三田線沿いのアパート。
6時間ほど前に知り合ったそのお兄さんの家は意外と綺麗だったのだけどしばらくすると単に物が少ないだけだと気がついた
その割にはチュッパチャップスの木みたいのがあってそれ絶対最後に揃えるやつだろと少し腹が立った
お兄さんの髪の色は金色。
僕がアメリカからビタミン剤を輸入して飲んでいたときのおしっこの色を連想した
僕は当時浪人が確定していて、空いた時間は日雇いのアルバイトをしていた
体力を使う仕事が中心で基本的には倉庫の中で、怒られながら何かしらを運んでいた。
そこで出会う人は「濃い」人が多い
僕らはある日の深夜の日雇い派遣労働中に出会った。
指定された競技場に到着するとそこには大きなステージがあって、あるアーティストのライブ(具体的に書いていいのかはわからない)が終わる頃だった
会場の裏に集められかなり長い時間待たされた
待つのが何よりも嫌いなので全てをバックれて帰ろうかと思った
作業が始まったのは11時くらいだったような気がする
かなりの人数がいた
「電球」と書かれたヘルメットを支給されたことで自分が電球係にされたということに気がつく。
途中で「電球集まれ」の合図がかかり、電球たちだけ集められ、作業の説明をされる。日付が変わる頃だった。
作業が遅いことにイラついている現場のジジイに怒鳴られながら配線の片付けや謎の箱を運ぶ作業をしているうちに自分の業務は怒鳴られることなんじゃないか、と思うようになった
それならなるべくサボった方が得だな、と思いトイレに行くふりをして広い競技場をうろつく。
力仕事が多く、夏だったのでところどころに給水場があって、氷水の中にでかいペットボトルのジュースがたくさん入っていた
監督のような人が通りかかるたびに汗をオーバーに拭って限界が近いぞ、小芝居を打つが、手にはたっぷりコーラが入った紙コップとスマホが握られていて、自分で嘘過ぎて笑ってしまう。
目立たない物陰に人がいるのに気がついた
一目でやばい奴だとわかったのは、1.5Lのジンジャーエールを完全に私物化して、口をつけて飲んでいたからだ
ヘルメットには「電球」の文字。
作業が遅いのお前が原因だろ、と腹が立った
もちろん僕に怒る権利は一切ない
僕はそういう人に話しかけてしまう癖がある
この性格で随分損をしてきた
「いつからサボってるんですか?」
「わかんね」
「あなたも電球ですよね?」
「あっ、この文字意味あるんだ」
めちゃめちゃ序盤からサボってるじゃないか
しかもこいつの足元にタバコが落ちているのでかなり長い時間ここで隠れていたのだろう
「君何歳?」
「19です」
「19でこんなとこで働くなんて終わってんね」
お前がいうな
話してみるとそのお兄さんは音楽をやっていて上京してきたとのことで、2年前まで福島にいたらしい
なんの音楽聴くの?と聞かれたので東京事変が好きだ、と答えると、
最高。と言われた
0点の人間に言われる「最高」は「40点」だ。
夜が明けてきて少しずつ明るくなってきたころに作業はほとんど終わった
こういう派遣のバイトのあるあるだと思うのだが、無駄に待たされる。
6時くらいまでひたすら待たされて解散になった
僕とそのお兄さんはその待ち時間の間ずっと2人で話していて、友達には絶対に話せないことまで話してしまった
お兄さんが聞き上手ということでは決してなく、二度と会わないだろうという予感が僕の口を軽くした。
お兄さんの話も面白く、
「年上の女性の乳首を執拗にデコピンしたらすごく怒られて別れた」
という誰が聞いても当然の話をすごく悔しそうに話していて、それまでの労働を全て忘れるくらい面白かった。
お兄さんに朝ごはんを一緒に食べようと言われたので解散後、牛丼をたべた
僕はその日の昼から予定があるので家には帰らずにどこかで時間を潰そうと思っていると話したら家に来ていいよ、と言われた
西巣鴨にはそのとき初めて降りたし、直感的に二度と来ないな、と感じた
日雇いのバイトは今までなんども経験していて、その度に話し相手を作るのだが、解散したら二度と会わないからだ。当然のことだと思う
なので家に来てもいいと言うお兄さんを不思議に(不審に)感じた。
お兄さんにいつもこんな風に初めて出会った誰かと飯を食ったり家に招いたりしているのかを聞くと、
上京してきたので東京に知り合いがいなかった。なので東京で出会った人とは仲良くするようにしている
との答え。
の割にはてめーサボってタバコ吸いまくってたじゃねーか、と思ったが寂しそうな雰囲気を感じたので黙っておいた
朝の西巣鴨はスーツ姿で駅に向かう人ばかりで、汚い格好でタバコを吸いながら歩いている金髪の男性と僕はかなり浮いていたが、夜勤明けの眠さと開放感が混ざって気持ちよかった。西巣鴨、いい街だな、と。
しばらくして、この辺に住んでいると歩いて大塚のピンサロ行けるから最高なんだよ、と言われて西巣鴨の地価は暴落した。
お兄さんの年齢は最後まで聞けなかった
27歳くらいだっただろうか
シャワーのなかでお兄さんは僕を掘ろうとしているのではないか、と急に怖くなってきた
そうなった場合のせめてもの抵抗としてシャワーを浴びながらオシッコをした
普通に意味がわからないし、結果何もされなかったのでこの瞬間に僕は地獄へ落ちることが確定した
このことは墓場まで持って行こうと思っていた
シャワーからでるとお兄さんは酒を飲んでいた
僕とお兄さんは黙って朝のニュースを見る。
昨日のライブのことが取り上げられたらいいな、と見ていたのだけれど、僕らの労働はニュースにはなんの影響も与えなかった
僕はベッドで寝てしまったらしい
起きるとお兄さんはゲームをしていて、机の上には酒の容器が増えていた
失礼なことをしたな、と思った
ふと時計を見ると僕は完全に3時間くらい寝ていて、予定には間に合わなさそうな時間だったので全てを諦めて家に帰ることにした
僕は起きてお兄さんにお礼を言って帰る旨を伝えた
予定には間に合うか、と聞かれて大丈夫、家に上げてくれてありがとうと言って家を出た
家を出るときにチュッパチャップスくれ、と言ってみたら一本もやらん、と言われた
ムカついた
寝かせてくれていなかったらあまりのイライラに巣鴨の老人を殺してまわった可能性もある。
お礼に巣鴨の方々は西巣鴨で金髪の人を見かけたらチュッパチャップスをあげてください。
それから西巣鴨には一度も行っていない。
近くを通ることはあったが、西巣鴨駅は利用していないし、こんなことがなかったら人生で一度も利用しなかっただろう
でも朝の西巣鴨をいまだに僕は思い出すし、この先も忘れることがないような気がする
この間深夜に急にお兄さんから電話が来た。
何年振りだろうか
LINEを交換したことすら忘れていたのでかなりビックリして出なかった。
オシッコしたことが時を経てバレたのだろうか、チュッパチャプスをくれる気になったのだろうか。
その後音沙汰はなく、急にLINEや電話が来ても怖いのでブロックした。
そういえばあの日からチュッパチャップスは一度も食べていない
僕が西巣鴨でお兄さんと感動の再会を果たしてチュッパチャップスもらったら感動する?
しない?
そのあと一緒に大塚のピンサロ行ったとしても?
しない?
しないか
あ、そう